こんばんは。翔平の母です。
翔平のことをいつも応援し、励ましてくださる皆さま。本当にありがとうございます。
年末のお忙しい中、街頭募金活動にボランティアで参加して下さる方、また、協力してくださる皆さまへ
この場を借りて深くお礼申し上げます。
皆さまの応援のおかげで、翔平は安定してきています。
体重は5900グラムまで落ち、骨も浮き出てしまっていますが
本人は大きな声で泣いたり、笑ったりと、今のところ、問題なく過ごせております。
今回は、翔平が産まれた病院から、転院する経緯を書いていきたいと思います。
出産から1週間が限界かもしれないと言われていた翔平ですが、なんとか乗り越えてくれました。
しかし、血圧がなかなか上がらず、おしっこも出にくい状態が何日も続きました。
産まれたら閉じるはずの動脈管がなかなか閉じず、血流がうまく循環できずにいました。
尼崎の病院の先生方が、懸命に慎重に管理してくださったおかげて一命を取り留め、徐々に安定していくことができました。
翔平についた病名は「左室緻密化障害」による「拡張型心筋症」でした。
・心臓の左心室の筋肉がうまく育たず、筋肉の部分がスポンジのようになっている。それにより心筋が弱くなり血液の循環が十分にできない状態。
翔平の場合は、胎児期より発症し、すでに重度の心不全状態でありました。
胎児期での発症はまれなことで、発症が早ければ早いほど、予後不良であると
話をされました。
この時、お腹の中にいてた時よりは、心臓の動きが良いと言っていただいていました。
どうか…軽度なものでありますようにと、願うばかりでした。
重度の心不全状態の息子にとって、水分制限がとても厳しく、すぐにむくんでしまうので
1回3ccの母乳を8回に分けて飲むことしかできませんでした。
鼻からチューブを通し、口から飲むことはできず、ゆっくり進めていきました。
翔平にとって
体重を増やすことは、心臓への負担が増えることでした。
なので、1700グラムの体重を目標の3000グラムまで増やすまで、すごく長い道のりでした。


それでも、翔平はゆっくりと成長することができ、目標としていた3000グラムまで大きくなることができました。

利尿剤と強心剤の投与により、心不全の数値が下がり、安定していたのですが
徐々に、薬が効かなくなってきました。
生後5カ月頃、先生から
どんなに薬を増やしても。数値はどんどんあがり、
もう薬による治療は限界がきています。このままでは、強心剤依存、もしくはもっと危険な状態になる恐れがある。
とお話がありました。
そこで、翔平の命を救うためには「心臓移植」しか術がないということ聞きました。
私たちは、ここまで、奇跡を起こし、懸命に生きようとする翔平に
明るい未来を生きてほしいと思い、転院を決意しました。

つらい道のりを歩かせることになるかもしれない。
今よりもっと過酷なことが待ち受けているかもしれない。
それでも、この笑顔を守りたい。
諦めたくない。
そう強く思っていました。
転院後の話は、次回書かせて頂きます。
ここまで、長文を読んで頂き、本当にありがとうございます。
今年も残りわずかです。
本当にお世話になりました。
来年も、皆さまにとって笑顔あふれる当たり前の毎日でありますように…
翔平の母、静葉