・募金をしてくださった方
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・SNSを通して活動を拡散してくださった方
・募金場所を提供してくださった皆様
・テレビ、ラジオ、新聞各社の皆様
1歳3カ月のしょうへいくんは、「拡張型心筋症」という心臓の筋肉が薄くなって心臓が大きくなってしまい、血液を送るポンプ機能が低下してしまう原因不明の難病と闘っています。しょうへいくんの米国での心臓移植の実現と、無事帰国に至るまでの本人と家族を支援するための必要な募金にご協力をお願い申し上げます。
息子翔平の病気が分かったのは、妊娠7カ月の時でした。すでに心筋症を発症しており、一刻も早く、治療を始めないと命が危ないと医師たちの判断により、予定日より2カ月早く出産することになりました。しかし、産まれても生きられないかもしれない、死産もありえると聞かされ、私たちは祈ることしかできないまま、出産の日を迎えました。そして、2017 年6 月13 日、翔平は無事に産声をあげ産まれてきてくれました。この時、重症な心不全状態で未熟児ということもあり、すぐに保育器に入った翔平は何とか一命を取り留めることができました。診断された病名は「拡張型心筋症」でした。
それから血圧低下、心不全の悪化もありましたが、先生方の懸命な治療のおかげで、少しずつ体重を増やすことができました。しかし、このまま内科的治療を続けるのは難しく、翔平を救うにはもう「心臓移植」しかないと告げられました。翔平の入院していた病院ではこれ以上の治療はできないと、大阪府内の病院へ転院することになりました。
転院してからも、体調が安定せず、どんどん悪化していきました。医師より「心臓はもう限界です。明日、人工心臓を付ける手術をしましょう」と言われました。12月1日、手術が行われました。しかし予定時間を過ぎても手術が終わらず、不安で胸がいっぱいになりました。
そんな私たちの嫌な予感は的中しました。
補助人工心臓を装着し、胸を閉じた後、心室の間にある中隔に大きな血腫ができ、心室を押しつぶしてしまいました。それにより、補助人工心臓が機能できなくなってしまい、急きょ、人工心肺装置(ECMO)をつけることになりました。突然起きた現実を受け止めることができず、ただただ泣くことしかできませんでした。
15時間を超える手術後、痛々しい翔平の姿を見て、「健康に産んであげられなくて、ごめんね。辛い思いばかりさせてごめんね。」と、申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。小さな体のお腹から、4本の太い管が出て、心臓は肥大し、胸も閉める事ができず、開胸したまま、翔平は懸命に生きていました。
それから、血腫の後退を待ちましたが、このまま待つのは時間がかかりすぎるという判断から、血腫を取り除く手術が行われました。その後、2018 年1 月4日左心に、同月9 日、右心にも補助人工心臓が装着されました。日本では両心室に補助人工心臓が装着されるのは小児では初めてでした。補助人工心臓のおかげで、すくすく成長し順調に体重を増やすことができています。しかし、この機械をつけているうちは、血栓や感染症、また血栓をできにくくするための血液をサラサラにする薬を飲んでいるので、脳出血や脳梗塞の危険と常に隣あわせの状態です。装着が長期になればなるほど、危険性も高くなることも分かっています。
国内での移植を待機することも考えましたが、小児の心臓移植の例は極めて少なく、体の小さな翔平にはさらに長期間の待機が予想されます。
ここまで辛い手術や、命の危機を乗り越え、一生懸命に生きる翔平を救いたい、一刻も早く心臓移植を受けさせてあげたいと思い、症例の多いアメリカへの渡航移植を決意しました。
今回、先生方のご尽力により、アメリカのテキサス小児病院にて受け入れをしていただける運びとなりました。しかしながら、渡航移植には莫大な費用がかかるため、私たち家族だけではとてもまかないきれず、皆様へお願いをして助けていただくしかありません。
翔平は今、機械につながれながらも日に日に成長してくれています。しかし、産まれてから一度も家に帰ってきたことはありません。家族で川の字で寝たり、ご飯を食べたり、そんな当たり前の毎日を過ごしたい。笑顔で翔けるその日がくることを願っています。
誠に勝手な願いであることは重々承知しております。ですが、どうか、翔平に生きるチャンスをください。どうか皆様の暖かいご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
川﨑 太志、静葉
2019年3月25日をもちましてしょうへいくんを救う会事務所は閉鎖致しました
ご連絡先
saveshohei@gmail.com